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どうも!随分更新出来ずにすんません!15日に2便帰ってきたんすが、立て続けにライブやらなんやらでくたびれてまったくPCに向かう気になりませんでした~。気にしてた人はすんません。でも自分のペースでしかできないんで勘弁!!
4/9に富山でのTURTLEISLANDのライブ経由で出発してからの事 書きます。

9日朝、トラックいっぱい荷物を積み込んでいざ富山へ
富山では”CHINDON CALLING”メンツは(仮)ALBATRUS, BRIDGE STYLE, NAOITO,DJ ハンサム泥棒

ライブ前に居酒屋で軽くやってから トラックのレンタルの都合で富山までしか借りれなかったんで東北から前回から滞在してる シゲちょいらがトラックで中継にかけつけ 大通りで これまた合流の米子DAISEN MONDOチームとタートルメンバーで、ほろ酔いテンションで一気に荷物の積み替え!ライブ前にいい汗流し快調!皆の息ぴったし!これだけでも意味有り!
ライブはそれぞれの尺度でそれぞれの思いが交差する良いライブに思えました。タートルのライブ後、三宅洋平が「スイッチ入ったよ」ってどーゆー意味かわからんが、やる気がでたととらえた。エネルギー渡せたならよかった。元気出してなんとかみんなで考えてやってくしかないし。

10日翌朝、飯喰って出発。
タートルから5人、鳥取米子DAISENMONDOから6人の11人。キックオフ。
前回と同じくまず蔵王に入り 一泊。

翌朝11日、恒例の仕分け。昼には片付いたが、この日渋さ知らずが仙台で急遽ライブをやるということで竜巻さんが急遽参加決定のため、仙台へ行くチームと、物資運びチームに別れた。俺等はCAZU,ジョージ(太鼓の)と俺の3人、前回南相馬収集所で会った原発から30km圏内に住む人の会社で周りの自宅待避のとこへ配ってくれると言う所と南相馬の物資収集所(こちらは基本的に避難所へいきます)に荷物を運ぶ。この日は丁度一ヶ月だ。そして帰りに立ち寄った相馬のラーメン屋で震度6弱の余震。生まれて初めての体感。これか〜 みたいな感じでした。さすがにビビっと身体が危険を感じましたが、同時にアドレナリンのようなものが分泌して、物に溢れ、拳銃を突きつけられるような事もなく平穏に生きる俺等にとっては危機感と同時に じゅわっ! と生きている実感を感じたりもしながら、となりで吞んでたおばちゃんと合流しビールおごってもらい、愛知から来た事を何度も何度も 「ありがとうね〜」って深くお礼をされた。地震が起こってから放射能の事やなんやで、ずっとでかけられなくて、このひと月で1回しか出かけてないって。で、ちょうどひと月だし気晴らしに酒でも吞もうと出て来たらしい。テレビ見て泣いてた。 いろんな話しを聞かせてもらった。この日は余震が多く、来るたびに おばちゃんが すごい勢いで「来るなら来いー!!」「もうなんにもないわー!!」て叫んでた。困ってる事ある?って聞いたら、「ものはないが お金もあるしなんとか家も無事で細々やってるから大丈夫。」「もっと本当に困ってる人等が山ほどあるからそっちいってやってくれ」って。で、別れ際 ハグしてくれって、一人一人ハグして帰りました。ちなみにおばちゃんはCAZUくんが一番タイプだったらしい。笑

12日石巻の巨大なグランドにいくつも貼られたでっかい自衛隊テントの物資の備蓄倉庫から物資の足りてない被災地に分配する為、主に食料品をトラック満載に積み込み。ものすげーいろんなものがいろんな国や地方から届いてました。つーか自衛隊のテント村すごい。戦争はじまったみたい!?ただ事でないのが見て取れた。
で、この日は別件で南相馬にもいく用事があったんだけど朝から蔵王のヤスくんがいつもの道なのに間違えまくったり調子悪いって、やな予感するからやめよっつって、原発も未だ不安定だしそんな時はやめようかって。そんなこんなしてたら別でバードランドの店長じゅんいちさんやNAKED YEEGSのくさかくんと一緒に津波のあった家に泥かきにいってた しげちょいや 太郎らのチームから連絡があり仙台バードランドにて飛び入りで八百萬星ライブできる事になり急遽仙台へ作業着のままLIVE!! ベースも不在でスカスカだったけど 気持ちよくライブできて、やっぱり音楽はいーなーって。そのうち自分等の得意な形にそのうちシフトチェンジしてきたいな。

13日はなんと沖縄から、タートルの専属(一度も呼んでない 笑)ツアーカメラマンまさかのキムと、なんと東京から 鎮座DOPENESSが合流。二人ともねてないのに泥だしチームと一緒に朝から出かけていきました。で俺等は南相馬にトラック2台で食料品を届け俺とNOBくんで原発から25kmあたりの原町区の沿岸部を偵察。根こそぎ家がなくなってたり、めちゃくちゃだね。3月11日からまったく手つかずの様子。で、走ってるとかろうじて建物は半壊か無事だがぐちゃぐちゃの泥まみれで車や瓦礫が転がってるゴーストタウンみたいなとこを沿岸のほうから おばあちゃんが自転車でやってきたんで声かけたら、この先もっと行くと何人か老人が住んどるって…。いろいろ話しを聞いて行ってみたがまったく何処に人が住んでんのかわかんない。声かけても出てこんし、まず人が住んどるとは思えん感じ。結局探せず別の方に声かけたりしつつその自治区の集会所に顔を出し、連絡先を渡し、帰りに山元町で避難の引っ越し手伝いしてるしげちょいらと合流。そこで会った おばあちゃんの話しが印象的だった。「津波はもともと自然だったとこを自然に戻しただけだ」って。で、荷物積み込みアジトへ帰還。

14日タートル組のみんなはそれぞれライブがあるので愛知へ帰還。俺は残り次の日の米子チームに乗って帰る事にして、蔵王の物資のストック倉庫へ一旦戻り荷物を積み込み石巻へ。

15日朝からみんなで借りてるアジトの大家さんから庭の木の枝の間引きを頼まれ帰る前にみんなで世話になった家の庭の手入れをしてシゲちょい一人を残し 最後に近所にある 「よ〜い丼」という気になってたどんぶり屋に行き、おすすめの 「カツ断層丼」を食べて今回のミッション終了!!おじさんがおもろい人でした。どんなときでも笑いは大事だね!
”心には反逆と優しさを””口元には冗談と笑いを絶やすな” byブルースビンボーズ

で、帰り道 南相馬で連絡先 渡した人から伝わり 南相馬 大甕地区という 丁度20km地点らへんで”六角”という旅館を営んでる方から電話があり、切々と南相馬の20〜30km付近の現状を聞かされ配給もないので その旅館を個人で中継所にして物資を配給しているが 「まったく物資も足りず 皆困っているので、なんとか助けてほしい。」と頼まれ、行きたかったが帰路の途中なんで、やすくんとシゲちょいに託し愛知へ帰還。

で、現在はタートルの奥ちゃんと豊川のミニミニがしげちょいらと合流して、大甕地区に荷物を定期的に運んでるようです。
ここは お米、食料品全般、トイレットペーパーなど日用品から、なにもかも無いらしいです。詳しい事は次にかきます。

物資の収集も一度は一旦やめようかとも思ったんですが、いろいろ状況を聞いたら、まだまだ全然なので、やり方考えて、また後日、期間を指定して集めよかな。

2011-04-22